ここの塾は少し変わっているかもしれません.

現在,小学生から高校生まで在籍し
1人の人間が全教科担当しています.
時には,異なる年代の生徒が同じ場で学ぶ
環境が存在しています.
その中で生徒たちは自らの課題に取り組み,
悩み,自己と対峙しながら学習を進めています.

この場が目指すべきものは
甘い環境で育った木々ではなく,
大地に根をしっかりと張った幹の太い樹木
つまり,
参考書ルートなど他人が作った道,
与えられたものをだた無目的にこなす人間はなく,
自らが課題を見つけ,克服していくこと.
そして自立した思考を獲得するための
場でありたいと考えています.
自分はその自立の為のお手伝いを
させていただいています.

 現在の教育環境はあらゆる意味で
不遇な環境であると感じます.
自らが何者かにまだわからず苦悩する方々に
寄り添い,応援する立場でありたいと思います.

皆さんにも覚悟が必要です.

学力,能力は自分で上げるものです,
他人からあげてもらうものではないのです.
巷に流布する商業的な広告や道化師のような
大人達に感じる違和感を大切にして欲しいと
思います.

例えば, 定期テストの過去問や
業者テキストやワーク,
学校から与えられたテキストを
テスト前に無目的にやっても,
学力,能力を上げる上では何の意味もありません.
与える側も自分のアリバイ作りのために与えている
場合が多のではないでしょうか.
時には大量の課題を強制し,
チェックテストという名の権力行使.
己を鍛えようと真に欲する者は
違和感を感じる.
一方で,無自覚に従うものは作業という名の
労働をする.この労働が学習者自身のアリバイ
を形成する,
これでは本来の目的である学力を身につける
過程とは程遠いものです.

学力,能力を上げるためには,
当たり前のことを当たり前にこなすだけの
ことなのですが,この当たり前のことが
難しいと考えています.
ここ学ぶ本質があるのではないでしょうか?

では,学力を上げるためにはどのようにすれば良いのでしょうか? 
それは自己の能力を向上させることである程度可能です.
しかし,この作業がとても難しいのです.
最初の段階として,自分自身を知ることです.
しかも,誤魔化さずにです. 

様々な環境に存在してる中で,自己を客観的に
見つめる作業は厳しく,難しいことです.
他者との中で,自己を発見する.
自己の熟成の中から,自己の存在を再確認する.
様々な場において,その養成する過程は
多岐に渡ります.
この多様性が教育という場での
厳しさであり,暖かさです.

受験生は
テストの先にある社会での
テストに対する解釈を心配する.
テストに対峙する自分そのものが
自分全体を構成すると考える受験生は
おそらくいないでしょう.
与えられた問題に対して,
条件反射的に反応することを訓練する
ことにより,反応が正しければ,
結果に辿りつけるであろうという
期待のもとで時間は進んでいくのです.

テストは一つの過程で生じた一部分でしかないはずです.
しかし,漠然とした真理への思いと些細な知識獲得の努力
この間の中で,埋め尽くされてしまう感情の蓄積が
時に己を圧迫する.
では,その感覚と対峙するのか?
対峙ではなく,その中に芥子粒にみたない
己の個の姿を見つけ出すことができれば,
結果に対する世界と本質の世界の
境界線はたやすく消えていくので
はないだろうか.
その場を自分自身で創造する過程において
出会うであろう自己の個の存在を
暖めてはみてはどうだろか.


龍盡塾 代表 右京


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